夏服と裏地の作り

夏服とは言うものの

今年は随分と早く入梅しました。婦人誌がダイエット特集から着やせ特集に変わる季節です。意地悪なことはさておき、紳士服でも夏服が興味の中心になってきます。

…夏服です。夏服では色々なご質問を頂きます。しかし困ったことに、実は夏服の定義は存在しようがありません。涼しさに比重をおいて、生地や構造を構成したものを「なんとなく」夏服と呼んでいるからです。誰かの夏服は誰かの合服、誰かの合服は誰かの夏服で、20年前の夏服なら、今では合服とされる方が多いかも知れません。

つまり、何を重視するのか、その程度問題, 組み合わせ問題です。一概に言えることは殆どないのですが、その中で「裏地の作り」は比較的切り分けがしやすいかもしれません。ということで、今回は夏服と裏地の作りにつきまして。基本的な「総裏, 半裏, 広見返し」の特徴などになります。

総裏, 裏地の意味

総裏
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右図の1は下衿で、点線部分は衿の折り返し。2が裏隠し(内ポケット)です。分かりにくいですが、これはジャケットの裏側の平面図です。総裏が作りの基本です。前身頃の半分, 細腹, 後身頃に裏地を張ります。最も裏地の利用量が多くなります。裏地には色々な役割がありますが、直接関わる大きいものは二つです。

  • インナーとの摩擦を減らす役割
  • ジャケットの構造を隠す役割

前者は当然として、後者の「構造を隠す役割」はどうでも良い瑣末事のような語感です。言葉にすると何ともツマラナイ理由に見えるのですが、実際にはかなり切実な問題です。

シルエットを作る構造部分が全て裏側に回っているためです。例えば縫い目は全て裏側に回ります。肩パッドや裄綿などの付属も全て裏に回ります。畳む、摘むなどの造形手法も全て裏側です。裏地はこれを隠しています。

隠せない場合には服全体の構造を変える必要が出てきます。丁度、電気製品で基盤と配線を隠すようなものかもしれません。隠すことで見栄えを良くしているのは勿論のこと、構造を隠した方が強度も増します。配線剥き出しの電気製品が弱い/汚れやすいのと同じです。

紳士服の構築的/造形的な手法の多くは、総裏で隠せることを前提にしています。裏地を減らせば減らすほど、隠せる面積は減ってゆきますから、採用できる手法も当然影響を受ける理屈です。

ということで、総裏は「標準,基準」、色々な意味で最も無理や困難がありません。意図がないのが意図という感じです。

背抜き, 若干でも軽く

背抜き

その衣服が現に涼しいか否か、これは極めて難しい問題です。「温度が高い」ことと「暑く感じる」のは別問題であるためです。例えば同じ25度で湿度が60%でも、仕事中,会議中,休憩中では、暑さの感じ方が違うと思います。緊張すれば暑い。つまり夏場では「苦痛=暑い」です。

一般に、衣服は軽くなれば負担感が減ります。負担感が減れば苦痛が減ります。少なくとも「軽くなれば負担感が減る=苦痛が減る=暑く感じにくい服」と言えます。

そこで、裏地で衣服を軽くしようと考えた場合、最も単純で影響の少ない手法が背抜きです。背裏を減らしてしまいます。背裏を減らせば軽くなる、だろうというものです。ただ、裏地は元から軽いので、若干の違いしかありません。

つまり、これは「総裏に近い造形を狙いながら、若干でも負担感を減らす」意図のものです。そのため、実際に軽さを感じるかどうかは、少々疑問です。むしろ、夏場に紳士服の造形を重視する手法と言えるかも知れません。

半裏, シルエットに犠牲を出しつつ軽く

半裏
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背抜きから、更に細腹(サイバラ)部分の裏地を取り去ったものを、一般に半裏(ハンウラ)と呼びます。ここまで抜くと、軽さや薄さが感じられるようになります。ただ、細腹部分の裏地を抜くと、服全体の構造が変化します。

細腹部分ではシルエットに関する手が頻繁に施されます。大昔、細腹は前身頃と一体に裁断されていました。今では分離して裁つのが主流です。これは細腹部分での各種手法が洗練したためですが、そのような手法を隠せなくなります。

隠せなくなる=使えなくなるので、違う手法を考えなければなりません。一般に、半裏でシルエットの奇麗な服を作ろうとすると、総裏よりも手間がかかります。更に、手間を掛けたとしても総裏と同程度は難しくなり、特にアタリ (服の表面に出た構造部分の形跡) やピリ (引き攣れたようなシワ) が出やすくなります。

つまり、半裏は「紳士服としての造形を犠牲にしつつ負担感を減らす」意図のものです。どの程度まで犠牲を出すか、それはもう、手間をどの程度まで注ぐかで決まります。

また、構造以外にも変化が出ます。…これは問題というより楽しさですが、本来見えないものが見えるようになるので、見えても良い意匠にするという楽しみが出てきます。

例えば腰ポケットです。腰ポケットの作りは細腹に跨がります。この作りは本来見えません。これが見えるようになるので、構造が変化するのは当然として、見えても良い意匠にする必要があります。そこに面白さがあるので、色々と遊びを狙うのも半裏の目的の一つです。

広見返し, 印象変化の重視

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下襟(ラペル)は、襟の折り返しを通って、ジャケットの裏側にも回り込みます。この回り込んでいる部分を見返しと言います。青い横線の部分です。前身頃の裏地を取って、その裏地部分まで見返しを広く取ります。これを一般に広見返し(ヒロミカエシ)と呼びます。

紳士服で、裏地より軽い表地はありません。また、裏地より摩擦を抑制できる表地もありません。つまり広見返しは、必ず同程度の半裏よりも重く(=負担感があり), 身に付け難くなります。少なくとも、今のところは半裏より優れた構造上/着用上の利点は思いつけないでいます。涼しくもなく、着心地も悪いのになぜ広見返しか、それは「印象を作る」ためです。

裏地を排すれば排するほど、ジャケットは構造を維持できず、必然的にアンコンに近づきます。また、裏地がなければ、実際にそうであるかどうかとは関係なく、軽い,柔らかい印象になります (実際には広見返しの方が半裏より重い)。つまり広見返しは「半裏と同程度の造形を狙いつつも、印象を変化させる」意図のものです。

この印象の変化というのは「暑さ」との関係で、全く馬鹿になりません。真夏にジャンパーを着ている人を想像すると分かりよいと思います。きっと、近づきたくもないはずです。自分まで暑苦しくなってきます。逆に涼しげで軽快な人を見ていると、こっちまで暑さを感じなくなってきます。

夏場はジャケットのボタンを外すことが多く、意外と翻ります。そういう時に裏地が見えなければ、軽快で柔らかい印象になる寸法です。広見返し自体は夏服に限ったものでもありませんが、そのような印象であるために夏服で多用されます。

背裏の観音開き

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もっと軽くと裏地を減らそうとしても、もう減らす場所がありません。そこで背裏を左右の両肩に離してつけます。重ねることもあれば、重ねないこともあります。

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写真では重なっている場合です。この方法は古くからあるもので、見た目が少し面白く、意外と奇麗になるので悪い手法ではありません。ただ、最近では殆ど見ることがなく、全く流行らなくなりました。

ただ、軽くしようとしてこれを行ったとしても、あまり実感は得られないかもしれません。大昔の重い裏地であれば意味があったのかもしれませんが、今では若干の変化でしかないためです。個人的には、むしろ面白みの要素で行う方が正しいと思います。

裏地と夏服

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上記は基本的な総裏, 半裏, 広見返し, 背裏の観音開きについてですが、これはあくまで基本的なもので、実際にはかなり幅広いバリエーションがあります。ジャケットの構造やシルエットと密接に絡んでしまうためです。

たとえば、右写真のジャケットには裏地がなく、広見返しでもありません。つまり、裏地で隠せる部分が殆どないため、シャツ・ジャケットに近づきます。ただ、いわゆるシャツ・ジャケットとも少し違います。

このジャケットには芯/袖裏があります。「裏地がないとしてもできる限りシルエットを作りたい、細身で作ったので袖裏がないと腕を抜きにくい」意図のものです。これはシャツ・ジャケットとも言い切れませんし、シャツ・ジャケットでもあります。かといって夏服だからと裏が全てないわけでもありません。

要するに、裏地のつくりも、「実現したい意図」の結果であるわけです。意図が先にあるので、裏地の付け方や面積も色々と変わります。これは既製服でもイージ/パターン・オーダーでも同様で、理由なくそうなっているということはありません (もし無かったらちょっと悲しいです)。

その他のお遊び

上記は基本的な裏地の作りで、実際には色々なバリエーションがあります。本来は見えない場所が見えるので、いろいろと遊んでしまう場所も増えてしまいます。ということで、似た系統の裏を四つほど写真にとってみました。

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以下、どうでも良いこと

ある繊維製品が、本当に涼しいのか暑いのか、これは極端に難しい問題です。前述の通り、同じ気温/湿度でも仕事中,休憩中,商談中では暑さの感じ方が違います。クーラーの温度/湿度は同じなのに、「突然暑くなった」ような気がすることなど、日常茶飯事です。

性能と言われても難しい。例えば吸湿/放散の能力が高ければ物理的に涼しい繊維です。しかし、湿度が90%の時にはどうなるんでしょう。放散しません。きっと暑い。太陽光を反射する、とは言うものの、炎天下に曝される状況自体が想像しにくいです。炎天下で長時間動くことが今の日本の都市部であるものか、結構な疑問です。

要するに「暑さ/涼しさ」は、トータルとしての暑さ,涼しさで、その中には苦痛を感じている精神状態というものも含みます。もし科学的に熱を遮断するのだとしても、肌触りが悪くても暑い、仕事で煮詰まっても暑い、重くても暑い、恥ずかしくても暑いです。

以前、お役所さんが、クール・ビズの例として「ジーンズ」を上げていました。しかし、ご存知の通り、ジーンズ素材は固い/重い/分厚いので「綿素材の中では極めて暑い」部類です。素直に上質な綿パンを着けた方がよっぽど涼しい。つまり、お役所さんは「実際にクールかどうか」は問題にしておらず、別のことを言っています。そういう回りくどい奨励は、どうにも Cool というより Muggy で困ります、お役人様。

…いずれにせよ、衣服は極めて多弁です。「本来は涼しさから遠いジーンズ」の奨励/強制と、それに乗ってしまった装いが方々に溢れたとき、それが何を話してしまうのか、自分の職業ということから離れても少し心配です。勿論、程度問題のことではあるのですけれど。

2011.06.01